
個人的な好みを言うならば、
住まいは、光と風が抜けるのがよい。
そのためにも、窓を開け放つことができないとね。
でも、そんな簡単なことがフツウのマンションでは案外難しい。
だって北側居室は、居住者が往来する開放廊下に面した窓だ。
開放しておくことが憚られる。
仮に開けても、南側から抜けてくる風はレースカーテンを(埃だらけの)網戸にペッタリと張り付かせ、風の抜けはイマイチで爽やかでない。
できることなら、光と風の抜ける集合住宅をつくりたい。
全ての窓を開けたまま暮らせる住戸をつくりたい。
分譲マンションに関わった勤め人時代は、そんなこと(も)考えていた。
「もちろんつくれるさ、すくなくともワンフロアに2戸だけは‥(角住戸のことね)」
そうでなくて、全住戸(若しくは大部分)に光と風を!と思っていた。
当事者だったとき、それなりにできることは試みたつもり。
販売価格を上げてでもEV(エレベータね)をあちこちに増やし、大部分を両面バルコニー付住戸とした。
地下を掘ってテラス付リビングをつくったこともあった。
ワンフロア2住戸の物件もつくった、つまり全戸角住戸。
もちろんそれは数少なく、他の殆どの建物は(本来の)自分の意に沿うものではなかったが‥
それでも、あれこれが許容される環境は、幸いなことだったと思う。
※ちなみに、タワマンは手掛けていない(ワタシ、旧いので)。
そうそう、そんな制約から(わりと)自由な住戸もあったな‥。
それは土地所有者と共同で行う等価交換事業、場所は街中心部の一等地。
新築するマンションのなかに、共同事業者の自宅と複数住戸を還元するのだ。
通常の単独事業と違って、相手あってこその事業、という建前がある。
良いモノを一緒に創ってくれる、だから貴社を選んだのよ‥いうこと。
(もちろん地主によっては、還元床(還元住戸)の経済性だけが気になる場合が多いだろう)
もちろん常識と収支の範囲内だが、自由度は上がる。
特にその時の共同事業者は無用な贅沢を望まない方だが、やはり自宅部分はペントハウスらしくありたいとボクは思っていた。
この建物もなんというか例に漏れず、建築家に登場願った。
但し(以前にも書いたが)、建築家が分譲マンションの基本的構造に手を入れる余地は少なく、ファサードデザインだけ(あとはエントランス等共用部分)を担う場合が多い。
しかし今回は、共同事業者の自宅とする最上階住戸に限って(当初計画から変更して)大きく手を入れてもらった。
その図面は、中央に中庭を抱いた素敵なものだった、「あら、いいわねー!」
今をときめく建築家‥。
とはいっても、大規模物件のファサードを手掛ける著名なタイプではない。
楚々とした建築物を手掛けて来られた、(知る人ぞ知る)学究肌の先生。
ご一緒してくれた共同事業者への、何よりのお返しになった、と勝手に思っている。
さて、話は変わるのだけれど、思い出したこと‥
朝日新聞のDigitalMagazine内に「花のない花屋」というサイトがある。
折に触れて、つい覗いてしまう。
花を贈りたい相手にまつわるエピソードを添えて、花束の創作を依頼する、それだけ。
依頼主のためだけに、たったひとつの花束をつくる。
つくり手はフラワーアーティストの東信氏。
今から20年近く前、前述の共同事業者が、大好きなアーティストがいるとボクに教えてくれたことがあった。
当時は、ふ~ん、という程度、でも忘れない程度に‥。
その後ボクは会社を辞めて、細々と今につながる仕事を続けていた。
そして、なぜか時々「花のない花屋」を覗くようになっていた。
数年前、ふとしたことで、その花束のつくり手が「あの時のアーティスト」であることに気づいたのだ。
華道の教授でもあった共同事業者、さすがのご慧眼と思う。
それからは、更なる感慨をもってこの人のつくる花束を眺めている。
ところで、「花のない花屋」は人の心に寄り添って、たった一つの花束をつくる‥
だとしたら、「物件のない不動産屋」もあるのかな。
そうだな、いわゆる不動産屋はこんな感じ?
「あなたにぴったりの物件をお探しします!」
うーむ、お馴染みの宣伝文句だ。
あちこちで目にするけど、ホントに探してくれるのか‥
これでは「花屋」の「不動産屋」版というにはキビシイかな。
するとやはり、「物件のない‥」は建築家の仕事だろうか。
うむ、ボクもそう思う。
無から有を、ひとつだけの空間をつくる。
それは、たしかに彼らの仕事だ。
不動産屋にはちょいと難しい。
それでは、「物件のない‥」の何者にもなれないボクは何?
それはだね、
「物件がほんの少ししかない不動産屋」
でどうだろう。
「物件はこれだけです、あなたにぴったりならば、どうぞ!」
これでいいのだ。